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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)1578号 判決 1982年11月24日

原告 渡部里美

右訴訟代理人弁護士 白谷大吉

被告 株式会社 太陽神戸銀行

右代表者代表取締役 石野信一

右訴訟代理人弁護士 高橋龍彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一七五万円及びこれに対する昭和五七年二月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五〇年六月二〇日以来、銀行である被告の志村支店との間で、普通預金、定期預金及びこれを担保とする金銭消費貸借(以下「当座貸越」という。)等の取引を含むいわゆる総合口座により、預金取引をしていた。

2  昭和五五年九月二九日当時の右口座における普通預金残高は、一一二万七七二七円であった。

3  原告は、右口座による普通預金として、昭和五五年一〇月二九日に八万円、昭和五六年一月六日に六七万六七二三円を預け入れた。

4  よって、原告は、被告に対し、右普通預金のうち、昭和五五年九月二七日時点の残高一一二万七七二七円、同年一〇月二九日入金の八万円、及び昭和五六年一月六日入金の六七万六七二三円中の五四万二二七三円、合計一七五万円並びにこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年二月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

全部認める。

三  抗弁

1  原告と被告との間で締結された総合口座取引契約において、次のような合意があった。

(1) この取引において、請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないと認めて取扱ったうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があっても、そのために生じた損害については、被告は責任を負わない。

(2) 当座貸越の残高がある場合には、普通預金に受け入れ又は振り込まれた資金は当座貸越金残高に達するまで自動的に返済される。

2  昭和五五年一〇月二一日、原告と称する者が、原告の氏名が記載され、「渡部」という印章が押捺された、一七五万円の支払を求める旨の普通預金払戻請求書を被告の志村支店に提出して、払戻請求(以下「本件払戻請求」という。)をした。

3  被告の同支店行員は、本件払戻請求が正当な権利者によってなされたものと判断したが、次の事情により、こう判断するについて過失はなかった。

(1) 本件払戻請求の額は、原告の普通預金残高と当座貸越限度額との合計額にほぼ匹敵したが、このようなことは、特に異常ではなく、時折あった。

(2) 原告が被告同支店に総合口座を開設して以来五年四月にわたる預金取引があり、原告は、月一回程度、預金のため同支店に来店していたが、払戻の際は、キャッシュカードによることがほとんどで、窓口には寄っていないのが常態であった。

(3) 被告の行員が顧客の名前、顔などを覚えていることは容易ではなく、預金の払戻請求について仔細に検討することはないのが普通であった。

(4) 本件払戻請求の際の原告名義の普通預金払戻請求書に押捺されていた印影と原告届出の印鑑とを対比した場合、全く同一と見られるか、少なくとも酷似したものであって、被告の志村支店の印鑑照合担当行員(以下「記帳係」という。)は、両者を通常の場合と同様の注意を払って肉眼で照合し相違ないと判断した。

4  よって、同日、被告は、総合口座取引契約に従い、当時の普通預金残高一一二万七七二七円に加えて、六二万二二七三円を当座貸付として普通預金に入金したうえ、合計一七五万円を前記請求者に普通預金の払戻しとして交付した。

5  被告は、原告が普通預金として、

(1) 昭和五五年一〇月二九日、八万円を入金した際、同額を、

(2) 昭和五六年一月六日、六二万二二七三円を入金した際、そのうち五四万二二七三円を、

それぞれ、総合口座取引契約に基づき、前記当座貸付金と相殺して処理した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1、2、4及び5の各事実は認める。

2  抗弁3について

(1) 同(1)の事実中、本件払戻請求の額が原告の普通預金残高と当座貸越限度額との合計額にほぼ匹敵した事実は認め、その余は争う。右のような払戻請求は、原・被告間の取引の経緯においては異常なものであった。

(2) 同(2)の事実は認める。

(3) 同(3)の事実は不知。

(4) 同(4)の事実中、記帳係が原告名義の普通預金払戻請求書に押捺されていた印影と原告届出の印鑑とを照合した事実は認める。その余は争う。記帳係等が相当な注意をもって調査すれば印影の相違が判明したはずであり、しかも、前記のように異常な引出しであるから、筆蹟をも照合する注意義務があり、筆蹟の相違は一目瞭然であって、これを怠った被告行員の過失は明らかである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因について

請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。

二  抗弁について

1  抗弁1、2、4及び5の各事実は、すべて当事者間に争いがない。

2  抗弁3の事実について

(1)  本件払戻請求の額が原告の普通預金残高と当座貸越限度額との合計額にほぼ匹敵した事実は、当事者間に争いがない。また、《証拠省略》によれば、一般にこのような事態は必ずしも異常ではなく、時折あった事実が認められる。

(2)  抗弁3の(2)の事実については、当事者間に争いがない。

(3)  同(3)の事実は《証拠省略》により認められる。

(4)  同(4)の事実中、記帳係が原告名義の普通預金払戻請求書に押捺されていた印影と原告届出の印鑑とを照合した事実は当事者間に争いがなく証人瀬崎恵美子の証言によれば、記帳係であった同証人が右両印影を肉眼で照合し、相違ないと判断し、その結果請求に応じて払戻をするに至ったものであることが認められる。

ところで、《証拠省略》は、本件普通預金払戻請求書に押捺された印影と原告届出の印鑑とは異なるものであるとしているが、仮にそうだとしても、《証拠省略》を参照しつつ、《証拠省略》中の印影と《証拠省略》中の印影及び検証の結果とを対比した場合に、右両印影は酷似しており、細部の相違は、肉眼では相当に熟視しなければ発見しがたいうえ、同一印章によりながら朱肉の多寡、押捺の仕方や紙質の違い等によって生じたとも理解しうる程度のものにすぎないと認められ、一見してその識別が容易であるとする《証拠省略》は採用しがたいというべきである。そして、この事実と証人瀬崎恵美子の証言を総合すれば、同証人が記帳係として印鑑照合事務に携るようになって当時既に半年以上を経過し、これに習熟していたものであり、本件払戻請求時の印鑑照合にあたっても、一日一〇〇件以上に及ぶ大量の印鑑照合事務の一つとして通常の注意を用いて対照につとめたもので、格別粗雑な取扱いをしたものではなかったが、前示のように両印影が酷似していたので、その相違していることを発見し得なかったものであることを認めることができる。そうすると、被告担当行員は、相当の注意をもって印鑑照合をしたものというべきである。

(5)  また原告は、筆蹟をも照合すべきであった旨主張するが、《証拠省略》によれば、総合口座取引契約においては、印鑑の届出に代えて署名または暗証の届出をした場合を除いて、預金の払戻請求にあたっては、届出の印章による押印のほかは記名で足り、かつ、被告側は印鑑照合のみをするものと定められていることが認められ、実際上も使者による預金払戻請求を禁ずる理由はないと考えられるので、被告側に筆蹟照合の義務はないと解すべきである。そして、右(1)ないし(4)の事実並びに《証拠省略》を総合すれば、被告は、本件払戻請求に対しては、預金払戻に通常必要とされる注意義務を尽くしたもので、請求者を正当な権利者と認めて払戻をしたことに過失はなかったというべきである。

3  そうすると、被告の預金払戻は有効であり、したがって、これを前提とする当座貸越との相殺も有効であって、抗弁は理由がある(なお、本訴において、原告は、本件普通預金中被告が右払戻及び相殺を主張する部分について支払を求める趣旨であることが明らかであるから、預金残額の存否は関係がない。)。

三  結論

以上の事実によれば、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田宏)

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